デス・オーバチュア
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私はコクマ・ラツィエルが大嫌いだ。 最愛の妹が恋している男だからというのも理由の一つ。 もう一つの決定的な理由は……あの男が私達……私の全てを見透かしているからだ。 あの男は私の本質、本性、他人に絶対見られたくない、知られたくない、黒く汚い部分を知っている。 そして、こともあろうに私の醜い部分こそ、好ましいなどとふざけたことを言うのだ。 確かに、私は純粋ではない。 嘆き、憎悪に染まり、神性を失った愚かモノだ。 愛憎。 純粋な忠誠心なら良かった。 『 』のくせに、あの方を愛したこと自体が罪。 愛したからこそ、捨てられた時に割り切ることができなかった。 そう、『 』など本来、使い捨ての消耗品。 古くなれば、もっと良いモノが見つかれば捨てられて当然なのだ。 その当然のことを、当然の結末として受け入れられない程、私はあの方に夢中になっていたのである。 なんて、愚かな身の程知らずだ。 自分は『 』である、『 』でしかない。 『 』に愛されるなど迷惑だし、『 』を愛してくれるはずなどないのだ。 だって、あの頃の私には、愛されるための体も、あの方と話すための声すらなかったのだから……。 私にあったのは意志だけだ。 あの方を守り、あの方の敵を斬り捨てるという『 』に相応しい意志……。 『 』に必要な感情は忠誠心だけでいい……他の感情など持ってはいけなかったのだ。 可哀想な、お姉様。 いつになったらあの方への想いから解放されるのだろうか? あの方だけは愛していけなかったのに、愛しても無駄なのに、だって、あの方はあたくし達が『 』だから愛してくれなかったのではなく、あの方には他者を愛するという感情が生まれつき欠落していたのだ。 自らの意志であの方を守る『 』としてのお姉様の本能とでもいえる性質、それが悲劇の原因だとあたくしは推測している。 ちなみに、あたくしの性質は、あの方の敵を殲滅することであり、あの方を守ることではないのだ。 だからこそ、お姉様と同じ悲劇を味わうことを回避できたのだと思う。 それほどまでにあの方は魅力的なのだ。 神も魔も人も、『 』さえ、この世でもっとも美しく光り輝くあの方の虜にならずにはいられない。 光の神、白き神、太陽神、絶対善の存在。 当時のあたくし達が知っていたあの方の肩書きはそんなところだ。 そして、今ではあの方の本当の正体も知っている。 光を司る……いや、光そのもの、この世で唯一の絶対にして純粋な善でありながら、魔族の頂点に立つ存在でもあるモノ……それがあたくし達の御主人様だった方の正体だ。 そこは異界。 ファントムの本拠地である洞窟の一室であるはずなのに、果ての見えない広大な黄金の海がそこには存在していた。 その海に黄金の髪の美女ビナーが飛び込んだ数分後、彼女の代わりに蒼い髪の美女、彼女の双子の姉であるケセドが姿を現す。 彼女は裸だった。 まるで彫刻のように、どこまで綺麗で、白く、完璧なプロポーション。 完璧な造形の美しさゆえに、彼女の裸は性的な色気とは無縁だった。 良く言えば神秘的、芸術的、悪く言えば人間味が薄い、温もりが感じられない。 まるで生きた女神像……それがケセド・ツァドキエルという女性だった。 「…………」 ケセドはどこか夢現な表情で、黄金の海の上を岸に向かって歩く。 一糸纏わぬ彼女の右手には奇妙な槍が握られていた。 その槍の穂先は銛のように複数の又に分かれている。 それも、銛の基本である三又ではなく、五又だ。 黄金色の槍は、光輝を物質化でもしたかのように常に自ら光り輝いている。 「どうやら、結論は出たようですね?」 ケセドを岸で出迎えたのは、黒衣の魔導師コクマ・ラツィエルだった。 「……コクマ、あなたですね……私の脳裏に余計な情報を流し込んできたのは……」 夢現だったケセドの瞳に憎悪の炎が宿る。 「悩みの結論を出すには、全てを知った方が良いと思いましてね」 コクマは飄々とした態度で答えた。 「……それ程、自分の養女を私に殺させたいのですか……?」 ケセドの槍を握る手に力がこもる。 「まさか? あなたが嫉妬や八つ当たりで己を見失うわけないでしょう? あなたは聡明で理性的な素晴らしい女性なのですから」 「…………」 ケセドの瞳に宿る憎悪の炎が激しさを増した。 「そんな睨まないでくださいよ。私はあなたに何も強制しません、口出しすらしません。全てはあなたが決めること……私はただあなたに正しい判断をしてもらうために、あなたの知らない私の知っている事実……情報を教えて差し上げただけ……それ以上でもそれ以下でもありません」 「…………」 どこまでも質の悪い男。 強制などしなくても、ケセドが自分の望む通りの行動を取ると、この男は確信しているのだ。 「…………」 ケセドが体を軽く振ると、髪と体から水滴が舞い散り、彼女の体に蒼いフォーマルドレスが装着される。 「……いいでしょう、特等席で見ているといい。私達姉妹のファントムでの最後の戦いを……!」 ケセドは射抜くような鋭い眼差しで睨みつけた後、コクマの横を通り過ぎていった。 「要するに私はあなたが生き返る際に、あなたの魂と一緒にあなたの体の中に入ったちゃったの。まあ、ちょっとした異物があなたの体の埋め込まれる形になっちゃったけど、害は無い……と思う……多分ね……」 徐々に目覚めていく意識の中でリセットの声を聞いた。 「物資的な私はホントに小さな欠片よ……でも、力は十……だし……空……時……お礼として……コラボレーション……」 意識の覚醒と共にリセットの声が遠くなっていく。 「……もう少し……寝かせてね……じゃあ、今後ともよろしく〜♪」 最後のよろしくという声だけやけにハッキリと聞こえた気がした。 殲滅、敵を全て滅ぼすことに拘るな。 残る十大天使全員と戦っている時間はもうないのだ。 殲滅、抹殺作業の方はエラン『達』も行ってくれるそうだから、自分は儀式阻止を間に合わせることだけに集中すればいい。 タナトスは青い門の通路を駆けていた。 タナトスが目覚めた場所は七色の門の分かれ道。 目覚めた時、側に居たエランは殲滅よりも儀式阻止の最優先を再度命じ、赤、紫、緑の門は外れの通路だと告げる。 なぜ、解るのかなどと尋ねる気はない、他人を殺すことしか能のない自分と違って、エランは賢い上に魔法使いだ。 いくらでも探る方法があるに違いない。 これで残る門は四つ、黒、青、黄、白……悩んでも仕方ない、何より悩んでいる時間などない、タナトスはなんとなく青の門を選んでいた。 外れだったら、戻ってきて違う門に向かうだけの話である。 「確か、青の門はビナーとかいう者が……」 選んだ理由は直感だったが、ファントム十大天使の一人が待ち構えるために戻った通路なら当たりの可能性は高い気がした。 いや、それこそ罠や誘い……外れという可能性も勿論ある。 「……だから、悩むなっ!」 考える前に行動しろ、愚者である自分の頭で考えても正解など出るわけがないのだ。 考察、推理、そういったものはエランのような賢者の担当、愚者である自分は下手に考えてもろくなことにならない。 タナトスは己にそう納得させると、ただ歩みを速めた。 「三度目……これが最後の講義……いいえ、最終試験です」 森の中の小さな湖。 珍しい場所ではない、どこの世界、どこの国にもこんな場所ならいくらでもあるだろう。 問題は、この場所が、洞窟の中の一室だということだ。 「……ケセド・ツァドキエル?」 湖面に立っているのは蒼い美女だ。 超獣の洞窟、クリスタルレイクと二度にわたって刃を交えた槍使い。 「覚えていただけて何よりです。ですが、私達姉妹があなたの前に立ちはだかるのは今回が最後……勝敗がどちらであろうとも……」 タナトスを見つめるケセドの瞳は、彼女の足下の湖と同じようにどこまでも美しく透き通っていた。 「そうか……敵とはいえ、お前の講義は為になった……今のうちに礼を言っておく……」 戦闘中に戦い方の講義をされるなど、侮辱であり、屈辱でしかなかったが、為になったのは事実である。 「素直というか律義というか……やはり、私はあなたを嫌うことができそうにありません……」 ケセドはどこか悲しげで苦しげな笑みを浮かべた。 「ん?」 「いいえ、こちらの話です。では、まずビナーと代わるとしましょう。あなたがビナーに倒されるなら、それが一番、何の因縁もない無難な結末と言えるかもしれませんね」 ケセドの姿が揺らぐように消えると、代わりに黄金の髪の美女が立っている。 「はぁい! じゃあ、始めましょうか? あなたがお姉様の手にかかる資格があるか……あたくしがテストして差し上げますわ!」 ビナーは宙に舞い上がった。 「試験を受けるためのそのまた試験か……魂殺鎌!」 タナトスの左手に漆黒の大鎌が出現する。 「参りますわ! 舞姫先生直伝のあたくしの舞、御代はあなたの悲鳴と断末魔で結構ですわ!」 ビナーの両手から羽衣のような薄布が伸びた。 「つっ!」 タナトスは襲いくる薄布を大鎌で斬り捨てようとするが、薄布は生物のように奇妙に動き、刃を回避する。 「なっ!?」 「さあ、楽しく踊りましょう。どこまで強く、美しく、激しく……」 地上に着地すると同時に、ビナーは踊り始めた。 踊りに合わせるように、薄布が自在に動く。 伸びる、増える、曲がる、まさにあの薄布は生き物のようだった。 細く丸まり、槍のようになりタナトスを貫こうとしたかと思うと、再びしなやかな布に戻りタナトスの体に巻きつこうとする。 「はあっ!」 タナトスは大鎌で薄布を振り払った。 薄布が斬れないわけではない、おそらくあっさりと切断できるだろう、刃が当たりさえすればだが……。 大鎌の刃は薄布に当たることは一度たりともなかった。 当たる前に、薄布が『逃げる』のである。 「アンサラー!」 踊り続けるビナーの腰から、光り輝く片手剣(ショートソード)が飛び出した。 片手剣は、薄布の乱撃の隙を埋めるように、独りでにタナトスに斬りかかる。 「ちぃぃっ!」 薄布と片手剣の見事な連携を、タナトスは辛うじて大鎌で捌ききっていた。 「あらあら? 以前はアンサラーだけでも防ぎ切れなったのにたいした進歩ですわね」 ビナーは素直に感嘆する。 「では、これまで防げるかしら?」 ビナーの左手の人差し指が光った。 「ぐっ!」 タナトスの左肩の法衣が飛び散る。 「光輝の槍か……」 「ええ、受けきれるかしら? 衣とアンサラーと光輝槍の三重奏(テルツェット)♪」 二枚の薄布、一振りの片手剣、最大五本の光の槍、その全てが同時にタナトスに襲いかかった。 タナトスは防御する優先順位を瞬時に決断する。 切り払いの最優先を片手剣、次に光輝の槍とし、薄布の攻撃は急所以外は受ける覚悟で回避を続けた。 タナトスの法衣のあちらこちらが薄布の貫きによって無惨に飛び散っていく。 「あははははははははっ! 美しいですわ! 追いつめられるあなたの表情……ゾクゾクしますわ〜」 「……悪趣味な変態が……」 「ほらほら、もっともっと鳴いてくださいな! 苦痛に耐えるあなたの表情も素敵ですけど、あたくしはあなたの悲鳴が聞きたいのですわ!」 ビナーの高揚に連動するように、薄布と片手剣の猛攻が激しさを増していった。 「喘いで! 悶えて! もっともっとあたくしを感じさせて!」 「あ、あああああああああっ!」 タナトスの両肩に薄布が突き刺さる。 「いい! 最高ですわ、その悲鳴! 絶頂してしまいそうですわ! ああっ!」 「ぐっ……ぅっ!」 タナトスは両肩に突き刺さっている薄布を切断すると、そのままビナーとの間合いを一瞬で詰めた。 「あら?」 「いたぶることに夢中になりすぎる、お前の悪癖は相変わらずだなっ!」 大鎌はビナーを両断しようと振り下ろされる。 「返答するもの(アンサラー)!」 大鎌の刃がビナーの脳天に触れる直前、光り輝く片手剣が飛来し、それを阻んだ。 「危ない危ない……ええ、その悪癖なら解っていますわ。お姉様によく注意されますもの……でも、この性癖だけは変えようがありませんの」 ビナーは左手で片手剣の柄を掴むとタナトスと間合いを取る。 「報復するもの(フラガラック)よ!」 片手剣が爆発するように光り輝くと、光輝の十字架と化した。 「な……なんだ……?」 光輝を見たタナトスの体中から力が抜けていく、そして、誘われるようにビナーに近づいていく。 光輝が少し薄れ、剣がその真の姿を見せる、光輝の十字剣『フラガラック』。 「光よ、切り裂けっ!」 「……くっ!?」 十字剣が振り下ろされる、その直前に正気を取り戻したタナトスは体を横に強引にひねった。 十字剣の刀身から光輝が走り、大地を二つに裂く。 「今、私は何を……?」 「フラガラックの輝きに魅入られたのよ。フラガラックの光輝を見たものは力を失い、誘われるように、自らその首を差し出す。それがこの魔剣の持つ力の一つですわ」 「魔剣? フラガラック?」 「ええ、どんな物でもバターみたいにスパスパッと切っちゃう光輝の魔剣フラガラック……まあ、十神剣には劣るでしょうけど、これでも最高位の魔剣ですのよ」 「……その剣、アンサラーとかいう名ではなかったのか……形も少し変わっている?」 「アンサラーはフラガラックの別名ですわ。応酬するもの、応酬丸、アンサラー。フラガラックの独りでに鞘から抜け、敵を倒し主人を守るという特性を強調した場合の名と姿……雑魚相手にはこっちの能力だけで充分ですわ」 ビナーは無造作に剣を横に振った。 「つっ!?」 タナトスは反射的に大鎌を振り上げる。 剣の届く間合いではなかったにも関わらず、凄まじい衝撃が両手に走った。 「フラガラックに間合いは無用! 剣の軌道がそのまま全てを切り裂く光輝の刃と化す!……ですわ」 ビナーはデタラメに剣を振り続ける。 タナトスは左右に動き続けた。 前後の動きでは回避できない。 宣言通り、フラガラックは無限の間合いを持つ剣だった。 剣から伸びる光輝の刃に果てはなく、振られる度に、軌道の延長線上にある木々や岩さえバターの綺麗に切り裂かれていく。 「…………」 確かに凄い、とんでもない能力を持つ魔剣だ。 だが、タナトスはなぜかこの剣に驚異をあまり感じない。 寧ろ、ビナーが十字剣での攻撃に集中し、薄布や光輝の槍での攻撃が無くなった分、対処が楽になった気さえしていた。 ビナーは剣術は素人だ……おそらく間違いなく。 ゆえに、高速で振るわれる間合い無限の剣も、さほど驚異ではなかった。 「あら? あらら?」 ビナーが攻撃がまったく当たらないことに不思議そうな表情を浮かべる。 フラガラックの軌道はあくまで『線』だ。 線である以上、回避はそう難しくない。 変幻自在、蛇かなにかのように不気味に蠢き、様々な角度や死角から襲ってくる薄布の方が何倍も回避が難しかった。 「お前では宝の持ち腐れだ!」 「えっ!?」 タナトスは一瞬で間合いを詰めると、大鎌で十字剣を跳ね上げる。 ビナーは宙に舞った己の剣を反射的に目で追った。 タナトスはその致命的な隙を逃さない。 「さらばだ、分不相応な魔剣の踊り子よ!」 魂殺鎌がビナーを十字に切り裂いた。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |